OPACへの遠い道のり 最終編

「ぽんと押せばぱっと出る」これこそ正にOPAC
まだ機械化(といわれていた)未満の当館もなんとかワープロを通過してaccsessデータベースにまでたどり着いていたが、その先はまた遠かった。
当館の場合それは変な方向からやってきた。
財団法人として公益法人として?制度上目録システムの整備が必要とされたからであった。
今から10年ほどの時点でとりあえずアクセスデータとして電子化されていたものが3000件ほど。4000件ほどのデータはまだ紙媒体であった。とにかく急ぐようにどのくらいでできるのかと毎日催促。
その時ひらめいたのがNACSIS加入。
既にデータがあるものは所蔵登録すればよいし、CDによる個別版という
OPACにつながるものも手に入れることができる。

ところがこの時点でNACSIS(当時学術情報センター)への接続には結構苦労した。まだ電話線接続の時代 とりあえずISDNをひいたが遅い遅い。
NACSISの難しい入力に手間取っているとどんどん接続料金が加算される。下書をして、専門用語を調べ、登録はすみやかにと予想以上に手間のかかる入力方法だった。

しかしこの頃夢の「インターネット」の世界を知ってしまった。
私のパソコンのみインターネットに接続していた状態で こんなに魔法のようにすばらしいものが
あるかと夢中になり 勝手に使いほーだい状態でした(秘密にお願いします)

もとい
NACSISというより学術情報センター(略して学情)のシステムはOPACへの第1歩としては実際は使いにくく
上司をだますように入れたシステムであったが目録の入力は遅々としていた。
その頃インターネットのすばらしさを知ってしまった私は果敢にも博物館のホームページを作成するなどしたが、
なんとホームページはあっても私のパソコンでしか見られない状態がしばらく続く。

そしてやっと世の中全体がインターネットの時代に突入していく。インターネットの可能性すばらしさを皆に説いてまわり
何とか全職員へのパソコン設置にこぎつけたのが2001年 その前年にどういう流れであったか
図書館システムをついに導入することになった。このシステムはNACSISデータをダウンロードできるので
これを使って加速度的にOPAC構築を進めるという口述で導入にこぎつけたことと思う。

そして全図書の目録データ入力は1年以上前に完成したが、OPACとしてインターネット上に公開できるようになったのは
この10月。システム会社さんのおかげで公開できたわけです。

なが〜いミチノリに お付き合いいただきありがとうございました。本編終わり