OPAC公開

ついにOPACを公開しました。
http://mba-web.co.jp/opac/pml/opac_det.php4

実はトップページもまだ完成していないのに発表してしまいました。
OPACなど 最近の図書館では当たり前ですので、何を騒ぐのかと思われるかもしれませんが、
この長い年月を考えると感慨でひとしおであります。少々長くなりますが、思い出話にお付き合い下さい。

図書室に来た頃

学校で司書の勉強もせずに図書室に配属されて前任者から1月あまりでバトンタッチ。
大まかな分類と受け入れ順の番号のみ 前任者が必要に迫られてつくった書名カードが
あるのみ。和紙の本などA-001に100冊以上受け入れ順で入っている。
閲覧者は結構専門家からご近所のご隠居さんまでどんどんやってくる。
レファレンスは待ったなし 「あの最後の一枚の紙だが」「安部川紙衣は」
「王子の樺太工場にあった〜」「○田の孫娘ですが、おじいちゃんの業績を知りたい〜」。。

その当時の職員は全員で10人未満 平均年齢65歳〜 みな製紙会社退職者です。
図書のことも 学芸員のことも ご存じない。

「どげんかせんといかん」もうどうしようもなく、司書の勉強を始めました。
まずは分類替
独自分類からNDCへ それも紙ハパ分野は細分類を

幸い博物館に古くからお付き合いのある図書館学の先生や 紙パ分類では
JISにも参画している技術者の方に相談にのっていただき
まず紙の博物館図書室分類表を作成しました。
それを元にすべての図書の分類替を決行
まだ5000冊ほどではあったが 分類に迷うもの多数
今のようにインターネットなど無い時代
その都度国会図書館や他の図書館に出向き
分類を調べたりした。

同時に目録の取り方についても見直し
書名以外のカード目録がなかったのですべての蔵書の基本カードから作成
更に著者名カードや件名カードも作りました。

目録で大変だったのは 和装古書と洋書
古書は独特の目録法が存在し、書名や著者名もわかりずらいので
講習会などに参加して独自に学習したが
これは今でもまだ分からないこと多数
洋書に至っては 英語はともかく、他の言語のものは
何が書いてあるのかさえわからず 保留の文献がどんどん増えていった

図書目録作成

なんとかカード目録が完成してその後冊子体の目録を出すことができた。
それが1988年今から20年も前!!
その後に増えた本は機関誌「百万塔」などで紹介はしてきたが
増加図書も半端ではなくなった。
カードも手書きからワープロパソコンへと変化して
世の中はいよいよパソコン 機械化の時代へ入っていった。
(つづく)